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ラマナアシュラム滞在記

March 8, 2018

インド巡礼の旅から戻り4ヶ月が経とうとしています。

 

日常はさして変わりなく流れ行きますが、人生の流れは大きく転換してしまいました。

 

私の意識が転換し、よりありのままになり、

その意識が作り出す現実が音を立てて現れてきます。

 

音を立てて崩れるという言い方はしますが、展開が早いので音を立てて即顕してる感じかな。

蓮の花は咲く時に音を立てると聞いた事がありますが、そんなイメージ!

ポンッ!

 

瞑想によって、その沈黙の中にこの真理があるということに目覚め始めています。

 

今回滞在した沈黙の聖者ラマナ・マハリシのアシュラムでの滞在記を掲載して頂きました。

世界のハートであるアルナーチャラへ世界中から信奉者が訪ねて来ます。

その中でこの地に呼ばれた日本の方へ向けたニュースレターが立ち上がりましたのでご紹介します。

 

 

 

 

 

アルナーチャラ便り 
SILENCE
2018年3月  第2号
 

編集・翻訳
崎山綾子
ダムール貴子
ダムールピエール


<冬のアルナーチャラ>

 
一月のテイルヴァンナーマライ、日中気温26℃、日差しは心地よく、生きとし生きるものがこの自然の恵みの中で安らいでいるかのようです。この時期はハチが蜜を求めて集まってくるように、世界中の探究者がアルナーチャラへとやって来ます。
一月のラマナアシュラムの行事はバガヴァ―ンの生誕祭から始まり、収穫を祝うポンガル祭、プナルヴァス(バガヴァ―ンのスターバースデイ)…。忙しい中にも意気高揚とした日々が続いていきます。
バガヴァ―ンの生誕祭には500人の帰依者が集まり、2000人にプラサード(食事)がふるまわれました。ポンガル祭は牛をあがめる祭りといってもよいでしょう。村人たちの貴重な収入源となる牛乳を生み出す牝牛たち、そして牡牛たちが赤、青、黄色、色とりどりの綱や色粉で飾られ、どの家の玄関先も「歓迎」を意味するランゴーリが色粉で描かれ、村中、町中、お祭り気分にしたります。この日はカメラが必携です。  
二月はシヴァラートリ(シヴァの夜)、シヴァ帰依者たちは一晩中一睡もせずバジャンやあるいは、ギリプラダクシナでシヴァを讃え続けます。この日は断食するのが習慣となっています。ラマナアシュラムでは、この夜、4回(9時、12時、2時、4時)のプ-ジャとヴェーダの詠唱がとり行われます。
オーム・ナマシヴァーヤ、ナマシヴァーヤ、すべてがシヴァ、シヴァ、シヴァ…アルナーチャラシヴァ
この夜のギリプラダクシナはシヴァ帰依者たちの途切れることのないシヴァ讃歌で魂は清められ、意気揚々と歩き続けることができます。            

                                (文責:S)
 

 

第二号の目次

 
・冬のアルナーチャラ
・沈黙への洞察
・Eternal Talks 『バガヴァーンの珠玉の言葉』
・『ラマナ・ペリヤ・プラーナム』 母アラガンマル
・シュリー・ラマナアシュラム滞在者の体験談
・ラマナ・サットサンの勧め
 

<SILENCE>沈黙への洞察

 
今回はバガヴァ―ンの真理の言葉をたどりながら「沈黙」について洞察していきたいと思います。
 
多くの人々は沈黙とは「話すこと」をやめること、黙っていること、口を利かぬこと、だと理解していますが、精神界の沈黙の意味するところは、外界の音を消すことでも、「話すこと」が優位にあり、「黙っていること」が下位にあるということでもありません
 
M:  沈黙は不活動の状態でも単なる「無」でもありません。沈黙はすべての基盤なのです。あなたが話そうと話さまいが、活動しようがしまいが沈黙はその基盤にあるのです。
 
私たちは静かに沈黙のうちに座っていることが無為の状態、何も活動しないことだと考えて、沈黙を避ける傾向にありますがバガヴァ―ンは次のように言われます。
 
M:     沈黙が唯一、真の活動です。
 
沈黙の中ですべてが明らかになり、沈黙の中で知ることが真の活動であると…
 
M: 沈黙とは内なる沈黙、静寂です。内なる沈黙とは「自我の明け渡し」です。自我なしに生きることです。個人が完全に自我から解放されたとき、沈黙は「存在」としてそこに留まります。
 
自分自身を完全に神に明け渡したとき、つまり自己の意思という刀、「武器」を投げ捨てて神の捕虜になったとき、初めて、努力なしにただ静かに「ある」ことができるということです。
 
M:  恩寵の極みが沈黙であり、沈黙が究極の教えなのです。
 
M:  沈黙は永遠の無言の言葉の流れです。それが「話すこと」によって、断ち切られるのです。
 
M:  沈黙は永遠不滅です。
 
それ故に、バガヴァ―ンは身体なしに永遠に「沈黙」としていつでも、どこでも存在しておられ, 熱心な帰依者はその沈黙を感じ、聞くことができると言われています。
 
外なる静けさと真の静寂、内なる沈黙とは全く無関係です。ですから、内なる沈黙に確立した人は、都会の騒音の中にいようと森の中にいようとその静寂を失うことはないのです。人から褒められようが、卑下されようが笑って微笑んでいられるのです。沈黙の状態には原因‐結果、善‐悪、是‐非、等の二元性は存在しないNOーMIND の状態であることが明らかです。
 
Q: では一体誰がその沈黙を体験しているのですか?
 
M:     すでに述べたように内なる沈黙の状態には個人は、自我は存在しないのです。体験者はいないのです。気づきだけが存在し、それ自体がそれ自体にそれ自体を現す啓示なのです。(続く) 
                              (文責:S)


Eternal Talks
 
『バガヴァーンの珠玉の言葉』  デーヴァラージャ・ムダリアール
 
(1) 幸福

 
誰もが、悲しみのない幸福を常に願っています。そしてまた同時に、自分のことを最も愛しています。自分を愛する理由は、唯一幸福を求めているからです。ですから、この幸福とは、自分自身の中に存在するに違いありません。さらに、心がない眠りの状態においては、日々誰もがこの幸福を経験しています。この自然な幸福に至るには、自分自身を知らねばなりません。それには、『私は誰か?』の真我探求が、最高の方法なのです。
幸福は真我の本質です。幸福と真我は異なりません。唯一の幸福とは、真我の幸福です。これは真理です。この世の対象物に幸福はありません。しかし無知のせいで、そこから幸福が得られる、と想像するのです。
概して想像されるように、幸福が外的な要因によるものなら、「所有物が増えれば幸福も増し、また減少すれば減る」と結論するのが理に適っています。従って、所有物がなくなれば、幸福も皆無になるはずです。しかし、実際の経験はどうでしょうか?この見解を裏付けているでしょうか?深く眠っている時、人は自分の肉体を含めて、あらゆる所有物をなくしています。しかし不幸ではなく、非常に幸福なのです。そして誰もがぐっすり眠ることを願っています。従って、幸福は人に生来するのであり、外的要因によるのではない、と結論されます。それ故、純粋な喜びの貯蔵庫を開くためには、真我を実現しなければなりません。
『パンチャダシー』には、「苦しみと喜びは事実とは無関係で、その人の思い込みによる」と解説している話があります。
ある村の二人の若者が、北インドへ巡礼に出かけました。そのうちの一人は死んでしまいましたが、もう一人は仕事を見つけて、しばらくしたら村に戻ることにしました。そのうちに、放浪の巡礼者に出会ったので、自分と亡くなった友人のことを故郷の村に伝えるように頼みました。しかし村に行ったこの巡礼者は、生きている男と死んだ男の名前をうっかり言い違えてしまいました。その結果、死んだ男の身内は彼の無事を喜び、生きている男の身内は彼の死を嘆いたのでした。
かつて私は、床に座って、地面に寝たものでした。布を敷くこともありませんでした。あれが自由でした。ソファは束縛です。私にとっては牢獄なのです。好きなところに、好きなように座る自由はありません。これは束縛ではありませんか?好きなようにする自由がなくてはなりませんし、他者に仕えられるべきではありません。“無欲”が最高の至福です。これは経験によってのみ悟られます。たとえ皇帝であっても、無欲の人には太刀打ちできないのです。(翻訳:G)
 
 
*『バガヴァーンの珠玉の言葉』(原題“Gems from Bhagavan”)は、バガヴァーンとその帰依者への捧げ物として、デーヴァラージャ・ムダリアールが編纂したものです。ムダリアールは、1900年に若きバガヴァーンのお姿を拝して以来、おそらく帰依者の中で最も長い50年近い年月を、師の教えに触れて過ごしました。師との日常を書き留めた日記や回想録で知られています。
 
 

ラマナ・ペリヤプラナムから
1 母アラガンマル (2)


 


この返答を額面通りに受け取ると、バガヴァーンが母の嘆願を斥(しりぞ)けているかように見えるが、実際はより深い意味を孕んでいる。すなわち「いかに努力しようとも、運命に定められていないことは起こらない。またいかに避けようとしようとも、運命に定められたことは必ずや起こる」のであるならば、個人の役割とは何なのか?すべてが定められていて、誰もが神の指図に従って振舞っているとするならば、個人であることの実在性とは何なのか、という疑問が生じるのだ。そしてこの疑問こそが、「私とは誰なのか?」という根本的な問題を呈するのだ。更に続く言葉「これは確かだ」で、バガヴァーンが確証を与えているのは、心(マインド)が確信の拠り所を必要とするからだ。「それゆえ最善なのは、沈黙に留まることである」と最後の言葉は結ばれている。沈黙に留まるとは、明け渡しに向けて積極的に歩み出す、ということだ。最初の第一歩が、明け渡しだ。沈黙における明け渡しこそが、真我探求を手がける際の導きの力となるのだ。これは、心が乱れていてはできないことだ。誰もがこの最初のウパデーシャ(教え)に隠された智慧を考慮せねばならない。小説や歴史物とは異なり、聖者の伝記が敬意と信仰をもって読まれるならば、その一言一句が導きとなるのだ。母アラガンマルがバガヴァーン・アルナーチャラ・ラマナから引き出したこの最初の教えは、極めて重要で鮮烈だ。
 
イエス・キリストは、母に言った。「母よ、女よ、あなたは私と何の係わりがありますか?私は父の仕事をしに来たのです」バガヴァーンも、メモや行動を通して、母に同様のことを語ったようだ。「私には父の仕事があります。それは、『父の本来の状態は、ハートに秘められた沈黙である』という忘れられた父の教えを広めることです。『アルナーチャラは、一人一人のハートにある「私」という無条件の気づきだ』ということを、人々に思い出させねばなりません。ハートが眩(まばゆ)い光彩を放つには、今それを覆っている心が取り除かれねばなりません。これこそが父の仕事です。ですから、おお、アラガンマル、我が母よ、あなたもそれを受け入れて下さい」
 
バガヴァーンの母は、失意のうちに残された家族のもとへと帰った。1898年にバガヴァーンから最高の教えを受けてはいたものの、その後15年あまり、母は家族の問題に深く絡め取られたままだった。1913年、災難が襲った。三男とひとり娘(バガヴァーンの弟と妹)を除いて、親しい身内のすべてを失ったのだ。アラガンマルは、悲しみに打ちひしがれた。子孫が途絶えてしまうかのように思われた。子供がいなかったバガヴァーンの兄は、10代の妻を残して、22歳の若さですでに他界していた。バガヴァーンは未婚で、妹は結婚していたものの、子供はいなかった。*私の祖父にあたるバガヴァーンの弟ナーガスンダラムは結婚してはいたが、子供はいなかった。1913年、アラガンマルは三男ナーガスンダラムの嫁マンガラムを連れてヴィルーパークシャ洞窟にバガヴァーンを訪れると、二人の間に子供が授かるように祝福を求めた。そしてまさにその翌年、子供が誕生したのだった。バガヴァーンへの感謝を込めてヴェンカタラーマンと名付けられたこの子供は、家族唯一の後裔となった。
 
1914年、未だ家族の柵(しがらみ)に捕らわれていたアラガンマルが、ヴィルーパークシャ洞窟にやって来た。ところがそこで高熱に見舞われて、腸チフスと診断された。バガヴァーンは、アルナーチャラに訴えて言った。「おお、智慧の炎なるアルナーチャラよ。その光のうちに我が母を抱き、あなたと一つにして下さい!」アラガンマルが救われたのは、言うに及ばない。このバガヴァーンの嘆願は、母のみならず、我々一人一人のためのものだった。真我探求に専念すると、我々もアルナーチャラの智慧の炎に飲み込まれるのだ。
 
1916年にバガヴァーンの義理の妹が亡くなると、その息子すなわち*私の父ヴェンカタラーマンは、バガヴァーンの妹に引き取られた。世俗にうんざりしたアラガンマルは、バガヴァーンのもとに身を寄せることにした。しかし彼女を霊的に成熟させるには、バガヴァーンをもってしても8年の歳月が必要だった。これに関しては、いくつかの美しい話がある。例えば、ブラーミンの伝統的慣習から母に浸み込んでいた偏見を、バガヴァーンが解放した話である。伝統によると、ブラーミンの着物、台所、食べ物、身の回り品は、ブラーミンだけが洗ったり、触れたりできるものとされていた。さもなければ、不浄とされたのだった。犬や“低いカースト”の者に触れられると、伝統的なブラーミンは、浄めの沐浴をせねばならなかった。スカンダアシュラムやヴィルーパークシャ洞窟にはたくさんの犬がいたので、アラガンマルはいつも犬に触られていた。そのため日に10度の沐浴することもあったのだった!碩学の帰依者カヴィヤカンタ・ガナパティ・ムニは、これを気の毒に思って言った。「ヒンドゥー教の聖典によると、悟った魂ギャーニに触れると、すべての穢れと罪が身体から落ちるので、沐浴する必要はなくなります」それ以来、母が近づいて来る理由が、バガヴァーンにはいつも分かっていた。母が息子に触れて行ってしまうと、いたずらな微笑みを浮かべて言ったものだ。「また犬に触られたに違いない」またブラーミンは、玉ねぎやニンニクさえも口にしないことになっていた。ある時バガヴァーンは、母のところに小さな玉ねぎを持って行くと、優しくからかった。「注意して下さいよ。この玉ねぎを食べると、天国の門から追い出されますからね」息子のこうした言葉によって、母は偏見による支配から徐々に解放されていった。
 
身内への執着は去っても、バガヴァーンへの母性愛は残った。息子がアッパラム(パリパリとした大きな薄い煎餅のような食べ物)を好きなのを知っていた母は、その食材を持ってくるように、よく人に頼んでいた。ある時アッパラムを作ろうとしていた母が、「ここに来て手伝っておくれ。アッパァラムを作るからね!」とバガヴァーンを呼んだ。母性愛に目が眩(くら)んだ母は、息子が子供だった頃の嗜好を満たしてやりたいと思ったのだ。それを承知の上で、バガヴァーンが応えた。「お母さんは洞窟の中でアッパラムを作って下さい。私は外でアッパラムを作りますから」こうして『アッパラムの歌』が生まれたのだった。この歌では、アッパラムを作る過程が、解放に至る過程の比喩となっている。バガヴァーンは、使われるそれぞれの素材に擬(なぞら)えて歌を解釈している。「真我探求の挽き臼で自我を挽き潰して、清き仲間サットサンガで味付けをしよう。軟らかくして平らに伸ばしたら、ブラフマンのギーで揚げて、そして真我に食べてもらおう」歌は問いかける。「いかにして魂は成熟するのか?粉が挽かれるごとく、いかにして自我は擦り潰されるのか?」と。そしてその答えは、「私は誰か?」の探求と共にある。母の魂の内奥(ないおう)に触れたこの歌は、母を一変させた。
 
アラガンマルは僅かばかりの持ち物に非常に執着していたが、バガヴァーンはこうした気質を見事に一変させた。スカンダアシュラムに暮らしていたサバパティと呼ばれる敬虔な出家者は、僅かばかりの破れた布を体に纏(まと)っていた。「サバパティ、どうしてそんな破れた布を着ているのですか?」とアラガンマルに問われた彼は、ふざけて言った。「あなたは長いサリーを着てらっしゃる。8メートルもあるんですから、少し分けて頂けませんか?」すると彼女は即座にサリーから180センチほどを切り裂いて、彼に手渡したのだった。僅かな所持品への執着が落ち始めたのだった。
 
ある時、木こりたちがスカンダアシュラムにやって来て、「バガヴァーン、腹ペコなんです」と泣きついた。アラガンマルは自分の食事が済んでからでないと、他の人には食べ物を分け与えなかった。バガヴァーンはそれを承知の上で、クンジュ・スワミに言った。「あの人達に食べさせる物を持って来るように、母に言って下さい」母は躊躇(ためら)いながらも言い張った。「まだ食べ終わっていない、とバガヴァーンに言って」これをクンジュ・スワミから伝えられたバガヴァーンは、母のところに行って窘(たしな)めた。「おお、それが理由ですか。自分はあの人たちとは全然違うと思っている。こっちに来て、御覧なさい。あそこに立っている人達が誰だか分かりますか? ご覧なさい」彼らを見つめる母に、バガヴァーンが言った。「あの人たちはみんなアルナーチャラ・スワルーパム、人の姿を取ったアルナーチャラなのですよ」バガヴァーンは、“不可触民”という言葉は使わなかった。それ以来、母は誰のなかにもアルナーチャラだけを見るようになった。彼女と他者の間に違いはなくなったのだった。
 
バガヴァーンは、息子として母への義務を果たした。すでに賢者と評されてはいたが、彼に仕える者の数は極わずかだった。彼らはバガヴァーンのために水を汲んで、苦労して丘の上までかついで運んだ。しかし母のためには、バガヴァーン自らが運んだ。二つの大きな器をなみなみと満たす水を担いで行くと、座らせておいた母に注いでかけて沐浴させたのだった。また母の洗濯もした。愛情深く母の身の回りの世話をした一方で、変化を引き起こす必要に迫られた時には、また厳格でもあった。こうして8年という長い年月をかけて、バガヴァーンはゆっくりと、しかし確実に、伝統的な信念、迷信、社会的習慣という制約から、アラガンマルを徐々に解き放っていったのだった。この母子の美しさは、母がすべて明け渡して、変化が起こるに任せたことにある。(ここでの教訓は、わずか数年のサーダナの後、進歩がないからといって落胆すべきではない、ということだ)
 
ある日バガヴァーンの妹がやって来て、母に言った。「お母さん、お母さんは具合が良くないわ。うちに来て下さい。居心地の良い家があるのですから」しかしアラガンマルはこれを断ると、バガヴァーンの方を向いて言った。「私はお前の腕の中でしか死なない。私が死んだら、遺体を荊棘(いばら)の茂みに投げ捨ててもかまわない」そしてその後間もなく、彼女は重い病にかかったのだった。最期の日、早朝から母の横に座ったバガヴァーンは、左手を母の頭に、右手を母の胸の右側に宛てがったまま8時間近くもその場を離れなかった。集まってきた帰依者達は、死が近いことを知った。母の魂を無限なる神へと導いている息子の姿に、美しさと尊厳を見た。その光景が絶対者へと至る魂の旅路を体現しているかのように、帰依者達に感じられたことを、臨終に立会ったクンジュ・スワミは語っている。それは、あたかも炎が放つ光と熱のようであった。やがて魂と心が真我に溶け入ったことを確信したバガヴァーンは、手を離して言った。「魂が真我に溶け入って消滅すると、鐘の音のような柔らかな響きが感じられる」
 
死を看取った者は沐浴せねばならない、という慣わしがあったが、「この場合は穢れがないので、その必要はありません」とバガヴァーンは言った。「母は死んだのではなく、アルナーチャラと一つになったのです」と。後に、臨終に居合わせた帰依者達が尋ねた。「バガヴァーン、お母さんの頭と胸に手を置いて、何をなされたのですか? 一体、何が起こったのですか?」バガヴァーンが説明した。「私の手を母の上に置くと、生まれながらの傾向、そして未来の可能性につながる過去の経験の精妙な記憶が、非常に活発になりました。 その精妙な意識の中で、様々な光景が走馬灯のように蘇りました。外部の光景はすでに見えなくなっていました。こうして魂は一連の経験を通り過ぎることによって、転生の必要を逃れるのです。そして心がハートすなわち真我に溶け込むことが可能になるのです。細部に至るすべてが脱ぎ捨てられた魂は、最後の目的地、再び無知に戻ることのない解放という至高の平安に至るのです」
 
アラガンマルを手本として、バガヴァーンは何を教えたのだろうか?バガヴァーンは、教えの真髄を問われた際、「『私は誰か?』と問いかけるか、あるいは明け渡しをするかのどちらかだ。この二つは、同じコインの両面だ」と応えている。「私は誰か?」のニュアンスを多くの帰依者に明示してはいるが、母の例を通しては、明け渡しの面を教えた。これは、アラガンマルが完全な明け渡しをしていたからだ。しかしまた彼女の例は、真我探求に没入して沈黙の状態に至った時に起こることをも示している。それが母の臨終に際して起こった経験だ。「生まれながらの傾向、そして未来の可能性につながる過去の経験の精妙な記憶が、非常に活発になりました」とあるが、真我探求と沈黙に没入すると、これが起こり始める。この時点では、「もうこれ以上は無理だ」と諦めたくなるものだ。「その精妙な意識の中で、様々な光景が走馬灯のように蘇りました。外部の光景はすでに見えなくなっていました」だが探求が深まると、内なる扉が開く。「魂は一連の経験を通り過ぎることによって、転生の必要を逃れるのです。そして心がハートすなわち真我に溶け込むことが可能になるのです」真我探求が進むと、心はハートに溶け込もうとして、奮闘するようになる。心をハートに押し入れて引き込むには、グルの導きと恩寵こそが絶対に必要だ。「細部に至るすべてが脱ぎ捨てられた魂は、最後の目的地、再び無知に戻ることのない解放という至高の平安に至るのです」この教えは、我々を今にも待ち受けている経験の明確な手本だ。母アラガンマルが、我々にその道を示してくれているのだ。完全な信仰を持つことだ。真我探求の道を取るか、あるいは高次の力に明け渡すかのどちらかだ。そしていずれの場合も、「自我が存在する余地はない」とバガヴァーンは言っている。自我がなければ、“私”も“私のもの”もない。すべてを司るのは、アルナーチャラだけだ。バガヴァーンが言ったように、「アルナーチャラは、ハートであり、真我であり、『私』である」
 
アルナーチャラに至るのは、空間や時間においてではない。それは常に今、ここにある。アルナーチャラがハートに入って来るのではく、アルナーチャラはすでにハートなのだ。ただ注意をそこに向けさえすればいいのだ。母アラガンマルは、バガヴァーンに注意を向けた。バガヴァーンは、「外なるグルの目的は押し込むことで、内なるグルの目的は引き込むことだ」と言った。アルナーチャラが我々を押し込む外なるグルであるなら、バガヴァーンは真我としてハートに留まって、磁石のように我々を引き込む内なるグルだ。それならば、我々の役割とは何なのだろうか?それは、ただ委ねるだけだ。どこにいようとも、ハートに住まうべきなのだ。神聖さが意味するのは、沈黙の中に入るべきだということだ。いつどこにいようとも、我々は沈黙の中に、神聖さの中にある。そしてその神聖さとは、アルナーチャラのことだ。アルナーチャラはヒンドゥー教の神ではなく、実在であり、空であり、存在そのものなのだ。我々が自分を身体と同一視しているため、自分自身を制限してしまったのだ。「あなたはいない。『私』だけがいる」ということを我々に思い出させるために、アルナーチャラが存在しているのだ。(翻訳:G)

* “私”は、『ラマナ・ペリヤプラナム』を編纂したV.ガネーシャン氏のこと


My Stay at Sri Ramana Ashram
(シュリーラマナアーシュラム滞在者の体験談)
 
小林千恵子 (大分県在住)
 

私がバガヴァーンの存在を初めて知ったのは、今から25年前のデザインを学ぶ美大生の頃でした。
バガヴァーンのことはもちろん、ヨーガのことも、偉大な聖者たちのことも、インドのことさえほとんど知りませんでした。
瞑想に興味を持ち、ふと立ち寄った本屋で手に取ったのが「不滅の意識」でした。
 当時の私にはその内容の大半は、あまりに意識が高すぎるために理解することはできませんでしたが、バガヴァーンとアルナーチャラの写真の強烈なインパクトは私を捉え、不確実であるけれども圧倒的なインスピレーションを私にもたらしました。その後はさまざまな人生の旅を続け、徐々にヨーガの世界に触れはじめ25年たった今、突然にティルバンナマライに導かれました。
 最初の印象は「長い夢から覚めた」ような感覚でした。
ラマナアシュラムでの3週間の私の滞在は毎日アシュラムに座り、アルナーチャラを一歩一歩、踏みしめるたびに失った記憶を取り戻し、不確実だったものが徐々に明確になっていく日々でした。
 これまで顕在していると思っていた世界が夢であり、真我のみが真実であるということに目覚めてゆくプロセスの中で、あるいは、自らを許してゆく沈黙のプロセスのなかで、さまざまなカルマは燃やされ不滅の愛に溶けゆく場所、アルナーチャラ、 世界のハートと言われるアルナーチャラで、自らもまたそのハートの内に溶け、燃やされながら、今までの全ての旅はここに辿り着くためであったと知りました。
 
「私はいったい誰なのか?」と幼い頃から不思議に思い、いつしか自分だと思っている自分を好きになれないようになっていた、25年前のあの瞬間、私が圧倒されたのはバガヴァーンの普遍の愛の深さだったということにも気づかされました。
 「神はグルであり、真我である」この体験は私を完全に満たしてゆきました。必死に外側にグルを求め絡まっていたマインドの自縛が解け、自らの内に留まること以外にもう何もする必要がないと気づかされたことは至上の喜びです。日本の暮らしに戻り、今自分のいる環境で、その祝福を持ち続けて生きること。私はこのために今世に生まれてきたのです。そう気づかせてくれたサット・グル ラマナの恩寵に愛の祈りを捧げます。アルナーチャラ シバ オーム!
 


ラマナサットサンの勧め
From Sri Ramana Ashram
 

ラマナサットサンとはシュリー・ラマナ・マハリシの帰依者の集まりで、シュリー・ラマナの臨在を体験することが目的です。同じ道を歩む探究者たちから得られるインスピレーション、シュリー・ラマナの教えのより深い理解、意気高まるラマナソングの詠唱など多くのことがサットサンで起こっています。一般に集まりは定期的に週一度か隔週、あるいは月一度などで帰依者の家で行われます。皆さんの住む近辺でサットサンが行われていない場合は誰でもその地域で自宅を開放してサットサンを運営することができます。サットサンのモデル形式は次のような組み立てになっています。

1.ラマナマハリシ「トークス」等の読み合わせ
2.タミルパラヤナやヴェダパラヤナの詠唱、またはそれらのCDを聞く瞑想
3.沈黙の瞑想  15分―1時間
4.最後の読み合わせ 「シュリー・ラマナアシュラムからの手紙」等
(これでサットサンは終わりとなりますが、この後お茶やスナックが振舞われることが多い)

皆さんの地域ですでにサットサンが起こっている場合は住所や連絡先をSILENCE宛てにお送りください。SILENCEに登録することで情報が簡単にいき渡りより多くの人達がサットサンに参加することができます。すでに世界中でサットサンムーブメントは広がっています。
 

**** 私を愛する人々が集うところに私は必ずそこに現れる。Sri Krishna ****
 

 

 

 

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